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クラスター株式会社のソフトウェアエンジニアです。エンジニアリングや読書などについて書いています。

今週のお題もあるのでひな祭りについて調べた

今週のお題「ひな祭り」

お題なにか書こうと思ったのだけど、男子だったこともあり、ひな祭りについて何も思い出が無いので、ひな祭りについて調べた。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%9B%E7%A5%AD%E3%82%8A のみ参照したし、あんまり詳しくないので適当なことについて書いてると思う。

和暦(太陰太陽暦)の3月の節句(上巳)である3月3日(現在の4月頃)に行われていたが、明治6年1873年)1月1日の改暦以後は一般的にグレゴリオ暦新暦)の3月3日に行なう。しかし一部では引き続き旧暦3月3日に祝うか、新暦4月3日に祝う(東北・北陸など積雪・寒冷地に多い)。旧暦では桃の花が咲く季節になるため「桃の節句」となった。

桃の節句って言われているのはこういう理由だったんですね。こういう昔からある祭り事は旧暦に関連していることが多いけど、ひな祭りもそれが理由なんですね。

江戸時代雛祭りは「五節句」のひとつとして「祝日として存在した」とされる。しかし、明治6年新暦採用が「五節句(=雛祭り)」の祝日廃止となって、さらに「国民の祝日」より「皇室の祝日」色が濃くなった。このため、戦後になって新たに祝日を作ろうとする動きが見られるようになる。祝日制定にあたり3月3日の案や、新年度の4月1日の案も出ていたが、最終的には5月5日の端午の節句を祝日(こどもの日)とする案が採用された。北海道・東北をはじめ寒冷で気候の悪い地域の多い時期を避け、全国的に温暖な時期の5月にしたというのが大きな理由のひとつとされる。

実は5月5日のこどもの日とひな祭りが微妙に関連してたの知らなかった。3月3日も5月5日も祝日にすればいい。

「雛祭り」はいつ頃から始まったのか歴史的には判然とせず、その起源説は複数存在している。平安時代の京都で既に平安貴族の子女の雅びな「遊びごと」として行われていた記録が現存している。その当時においても、やはり小さな御所風の御殿「屋形」をしつらえ飾ったものと考えられる。初めは「遊びごと」であり、儀式的なものではなく其処に雛あそびの名称の由来があった。しかし平安時代には川へ紙で作った人形を流す「流し雛」があり、「上巳の節句(穢れ払い)」として雛人形は「災厄よけ」の「守り雛」として祀られる様になった。

江戸時代になり女子の「人形遊び」と節物の「節句の儀式」と結びつき、全国に広まり、飾られるようになった。この遊びである「雛あそび」が節句としての「雛祭り」へと変わったのは天正年間以降のことであり、この時代から三月の節句の祓に雛祭りを行うようになったと推測されている。もっとも、この時代には飾り物としての古の形式と、一生の災厄をこの人形に身代りさせるという祭礼的意味合いが強くなり、武家子女など身分の高い女性の嫁入り道具の家財のひとつに数えられるようにもなった。その為、自然と華美になり、より贅沢なものへ流れた。

もともとは遊びから、それが仏教、神道における穢れ観念 みたいなのと結びついて儀式になっていったのかな?さらに国が豊かになるにつれて、華美なものを使うことによって民衆にとってのステータスを表すみたいなものに使われていったようにも見える。

ちょっと調べたけど面白かった。