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クラスター株式会社のソフトウェアエンジニアです。エンジニアリングや読書などについて書いています。

プロフェッショナルとスパルタ的マネージャ

 「傷つかない技術」を体験した授業とかあなたの作ったものはゴミである、あるいはプロとアマの分岐点とかを読んだ時に思ったことをまとめる。


 「傷つかない技術」を体験した授業に関しては概ね賛成だった。教育というのは自分のやりたいことに関連して如何に必要な体験をさせるかということが重要だと考えているので、このような教育は非常に素晴らしいと思った。


 あなたの作ったものはゴミである、あるいはプロとアマの分岐点に関しては、大きくは賛成で一部反対に感じた。

 まずマネージャではない立場、つまりプロフェッショナルなどの目線からだったら僕はこの記事に賛成である。特に下に書かれていることは重要だと考えている。

そして、「頑張ること」それ自体に価値があるのはアマチュアの世界、価値がないのがプロフェッショナルの世界である。
全ての人がプロフェッショナル的に仕事をするべきだ、とは僕は思わない。
でももしプロフェッショナルになりたいのであれば、「僕、努力したもん」は封印しなければならない。そんなこと、他の人は知ったこっちゃないのだ。

 努力していることが何かに発揮される(アウトプットされる)ことが価値があるということは正しく、実際に作業するときにはこれを意識し続けることで、自己満足で終わらない仕事が出来るからだ。

 マネージャの立場の目線からだったら、僕はこの記事に賛成でもあり反対でもある。
 上に書いたような内容を心にとどめ、プロフェッショナルにそれを分かってもらうことは重要である。そのためこの点に対しては概ね賛成だ。
 しかし以下のように書かれた部分に非常に違和感を感じ、特にこの部分に反対を感じている*1

そして今では、誰かが作ってくれたモノを破り捨てることの方がずっと多い。
一生懸命説明してくれたことに一言「うーん、つまんないね」と言うことも良くある。
このままだといつまで経っても検討が深まらないと判断して、仕事を取り上げることもある。
その場で壁いっぱいに方針を書き付けて、「いいから、これを紙にしておいて」と言うときもある。

そういうことを繰り返していると、双方向人事考課の際に「あのときは酷かった」「もっと違うやり方をすべきだと思います」と非難されることもある。
でも、今のところ、このスタイルを変えるつもりはない。プロの仕事をする上で、避けて通れないと思っているからだ。

 そもそもマネージャの仕事は人的リソースを一番発揮できる状態にすることなのに、すべての人に対して、その人の特徴を考えず、スパルタ的に否定するといったことは間違っていると思うからである。人によって怒られたほうが能力を発揮できる人もいれば、ほめられることによって能力を発揮できる人もいる。一度共感することによって能力を発揮する人もいる。
 それなのにマネージャが人に全く合わせず、ただ単にスパルタ的に扱えば良いわけがないと思う。


 あなたの作ったものはゴミである、あるいはプロとアマの分岐点のような記事を読んで共感した人が、スパルタ的な行動だけがよいと感じるマネージャとなり、プロフェッショナルがやりづらい環境が出来上がる。このような状況が起こらないことを望むばかりである。

*1:もちろん書かれている内容だけで判断したので、勘違いはあるかもしれないが