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クラスター株式会社のソフトウェアエンジニアです。エンジニアリングや読書などについて書いています。

ブログを書くことによって「教える」

 今、リファクタリングウェットウェアという本を読んでいる。

 なかなか興味深い内容が書いてあって、例えば

  • 人間の脳にはLモードとRモードがある。Lモードは言語処理や論理思考などを得意とする一方、思考速度は遅い。Rモードは非常に早く思考でき、直感や創造力の元になる一方、それをうまく表に出すのが難しい
    • 学習を効率的に行うにはこの2つのモードを使い分ける必要がある。
  • 目的や目標を定めるときの「SMART」なやり方
  • 学習のため本を読むときのSQ3Rという方法やマインドマップという方法

などが書かれている。


 さらにこの本には、「物事を学習するために人に学習している内容を教えるべき」と書いてある。これは確かに自分でも感じたことがある。高校や大学の時に以下のような経験をしたことがある。

  • 受験勉強の時に、ただただ勉強することも大事だった。しかしながら、内容を理解できていない人に、できるだけわかりやすくなるように教えることによって、さらに自分自身の知識が深まったり、自身が理解できていない部分に気づくことができた。
  • ある内容について議論している時に、自分の論に賛成してもらうために、いろいろ説明するが、それによって知識の浅さなどに気づくことができた。


 さて、僕自身はこの本に書いてある通り、「教える」という行為自体が学習になると感じているのだが、実際これを実践するのは難しいと感じる。それは教えるという行為には

  • 自身が理解している内容がある
  • その内容について興味があり、知りたい人がいる

という2つの条件が必要になるからである。この条件にマッチする人を探して、教えるというのはやはり難しい。


 しかし、最近は「ブログを書く」という行為が、「教える」の代替になっていると感じる。ブログを書く時には、自分が学んだことを自分なりにまとめ直し、読んでいる人にわかりやすい文章を書こうとするため、教える行為に似ていると感じるからだ。また、ブックマークやコメントなどで疑問や反論などをもらうことにより、自分の理解できていない部分への気付きを得ることもできる。


 以上に書いたことから、僕自身は自分が学んだことはどんなに小さいことでもブログに書いたら良いと思う。その内容自身は他の記事に書いてあるからという事でためらう必要も無いと思うし、良い物を書かないといけないと思わなくても良い。とにかく学んだことを、まとめわかりやすく説明することが大事だと感じる。


 僕が考える、このブログを書くことによって「教える」ということは、twitterfacebookなどの短文投稿では成し得ないことだと思う。こういう部分はブログの良さだと思うし、僕がブログを好きな理由の一つかもしれない。