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クラスター株式会社のソフトウェアエンジニアです。エンジニアリングや読書などについて書いています。

主観的と客観的、それと人と関わること

 主観的と客観的ってなんだろうといつも思う。「主観で判断するべきじゃない」とか「客観的に考えるべきだ」とかそういうことがよく言われている。
 どうして客観的に判断することが大切なんだろう。また客観的ってなんだろう。

どうして客観的というものが大切なのか

 なんとなく重要だということは分かる。けどなんでだろう。
 例えばビジネスにおいては、個人に売れるものではなく、ターゲット全体に売れないといけない。ターゲット全体に売れるようなものを作るには、個人としての意見を減らし、客観的に考えないといけない、のではないかと思う。
 例えば議論においては、自分の立場で感情的に言うだけでなく、他の立場からも考えた上で意見を言うほうが、説得性や生産性が高いと思う。
 漠然とは大切さは分かるのだけれど、説明は難しい。

じゃあ客観的ってなんだろう

 Weblioで調べると「個々の主観の恣意(しい)を離れて、普遍妥当性をもっているさま」ってなっている。goo辞書だと「主観または主体を離れて独立に存在するさま」、もしくは「特定の立場にとらわれず、物事を見たり考えたりするさま」となっている。
 この意味から考えると、完全に客観的に考えるには、個というものを完全に捨てないといけないということになる。また、おそらく全ての知識を保有していないといけないだろう。すべての知識を保有していないとそれが主観ではないかどうか、判断しようがない。こうやって考えると、完全に客観的に考えるのは不可能に見える。

 そもそも主観的と客観的って二元論ではないだろう。どちらかというとスライダーのようなもので、左に主観的、右に客観的と書いてあって、ある意見がそのスライダーのどこかにあるみたいな感じがする。どちらかというと客観的、どちらかというと主観的みたいな。

じゃあどうしたら「客観的」に近づくことができるんだろう

 上のように、説明は難しいけれど、僕の中ではビジネスや議論の中ではやっぱりできる限り客観的に考えるというのは重要に思う。つまり上で言ったようなスライダーを出来るだけ右に近づけるということ。

 どうやったら「客観的」というものに近づくことが出来るのだろう。
 これまで色々考えてきた結果、僕の中ではできる限り客観的に考えるというのは、できる限り様々な視点から考えるということではないのかと思った。つまり、いろいろな主観を多く重ねあわせた結果、客観が生まれるように思えた。
 それならば、出来る限り客観的になるには、できる限り多くの主観を知るべきなのではないかと考えた。主観を知るということは、結局は様々な考え方を持っている人たちと触れ合うべきということなのかなと思った。このあたりは自分でも考えきれていない。

結論

 今の僕の結論としては、出来るだけ「客観的」に近づくには、出来るだけたくさんの人と関わってくべきじゃないかなということ。自分自身は人と関わることはあまり得意ではないけれど、やっていこうと思った。

 色々考えてきたけれど、やっぱり「客観的に考える」というのは難しい。実際、この文章を読み返してみると、この文章自体も主観的だ。どうしたらいいのだろうか。